あの孔子に尊敬された鄭の子産
鄭の子産といってもいったい誰?という感じだが、管仲と並ぶ宰相として名高い人物だ。 舞台は春秋時代の中国。紀元前500年前後のことだ。
諸国乱立する中で、中国の中心辺りに存在した中ぐらいより少し小さい国として存在していたのが鄭だ。
南側は楚、北西は晋という大国に隣接しており、都合によりそれぞれの国に従うという、国際的にもまったく信用のおけない国だった。
そんな国の支配階層に生まれた天才少年が子産だ。
宮城谷昌光の『子産(上・下)』はその生涯を追う。
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社会的な側面をよく描いている
春秋時代は2500年前のことだけあって、資料は非常に少ない。
漢文の授業などでも習う史記や孔子の論語、竹書紀年という史書が中心的なものだと思うが、それらに現れる子産に関する記述は非常に少ない。
この断片的な記述群の隙間を埋めて一つの物語に作り上げるのが、作者、宮城谷昌光氏の手法だ。ところどころ史書からの引用を交えながら、いかにも記録に残っていたかのように、対象となる人物の人生を描き出す。
子産は完璧な人物に見えて、人間味に溢れた人物という感じはしない。 その点では、同作者の手になる太公望や孟嘗君の方が魅力的だ。
一方で、大国が権力を振るうなかで、大国でない国が、国としての在り方を模索するという点では非常に興味深い。
ほんとうにそんなことをして、晋や楚に潰されなかったのか?と言いたくなるが、現に子産の時代には鄭は繁栄を享受している。 仮に子産の行動の結果、国が滅びても周囲から信義なき国として蔑まれながら永らえるよりは、よほど望ましいと思える。
国が滅びるよりも、誇りを捨ててでも残ったほうが良いのでは?とも思えるけど、子産を読んでいるうちに、いややはり国としての矜持を保つことの方が大切だと思えてきた。
そして、この本では信義を立て、矜持を守ることが、結局国を守り反映させることに繋がるという希望にもつながっている。
優等生すぎる?子産
本書の主人公の子産はこどもの頃から非凡だった。教育係として一家に仕える史官の講義を受けるのだが、すぐにこの史官は自らの学びが不足していたことに気づく。父が昇進したときには、顔を曇らせて警告を与える。そういう非凡な少年の悩みは自国が日和見的に使える国を変えること。
そんな人いるだろうか?
当代最高の知識人であった呉の季札や斉の晏嬰、少しあとの孔子や韓非子から絶賛された子産であるが、もう少し人間味のあるところもあったのではないだろうか。
宮城谷氏の他の著書では子どもに対する教育とか友人との関係などがエピソードとして添えられることが多い。けれども、子産にそういう記述はない。 あくまでも公的な顔だけを描いている、そんな印象を受ける。
全体として、子産という人物は記号的な存在に思えてくる一方、国や組織を運営するための普遍的な指針が見えてくるような一冊だった。
最後の方はスペース不足?
子産が政治を運営する一人となって国を運営するあたりまではけっこう丁寧に書かれている。しかし子産が宰相になったあたりからは、断片的な資料を簡単に解説しているだけというような印象になっている。 あとがきには、執筆の後半で体を壊し、連載(もとは新聞小説だった)を中断したとある。記述の雰囲気が変わったあたりが、再開後なのかもしれない。
このあたりはちょっと惜しかった。